原神日記231021:風と終焉弓と幸運自慢のアイロニー

 終焉を嘆く詩。
 原神の武器は、なにやらポエティックな名前が多いですが、中でも終焉を嘆く詩はトップクラスにポエティックで、見るだにぽえぽえしてきます。
 まぁ、多くの旅人さんは「終焉弓」と呼びますし、わたしも大体そう呼んでますが……
 終焉弓、今となってはそこまで「必須の弓!」というわけでもないようですが、ずっと欲しかったあこがれの武器の1つなので、無謀にも武器ガチャを引きにいきました。
 そして引きました。哀しみの命定値MAXです。笑ってください。
finale
 しかし、禍福はあざなえる縄の如し。
 「別に絶対欲しいってわけじゃないけど、引けたら嬉しいな」と思っていたウェンティが、10連でぽろっと来てくれました。ありがとうウェンティ。
 ……ところで、ちょっと運勢について。
 確率は収束します。サイコロで6を5回連続で出したとしても、次の1回で6が出る確率は変わりなく1/6です。が、サイコロを振れば振るほど6の出た回数は、全体の1/6に近づきます。ところどころで上振れも下振れもありますが、トータルでは期待値に近づく分布になります。これを統計学では大数の法則と呼びます。
 「カイジ」の宣材には「目を覚ませ 勝つことは偶然なんかじゃない!」という格好のいいフレーズがありますが、それは技術介入の余地がある駆け引きだからであり、完全に運だけのガチャについては、勝つことは偶然です。むろん、負けることも。
 なので、「今回超ラッキー!10連でPU星5引いた!」みたいな幸運自慢が鼻につく、という方もいらっしゃると思いますし、わたしも気持ちは分かるんですが、「まぁ確率は収束するしなー」と思うと、個人的にはそこまでなんですよね。
 今回のわたしが露骨な例ですが、結局のところ、長くそのゲームを続けている限り、一瞬の幸運の裏には連続でのすり抜けとか、武器ガチャで狙いの武器を命定値MAXで引くとか、そういった不運も重なっていくものです。追い課金をしたり、欲しいキャラをあきらめたり、そういったことをしているうちにラッキーも出てくるものなのですから。
 なので、そのゲームを長く遊んでいるのに幸運自慢ばかりしている人がいたとしたら、それはかなりの高確率で、幸運な時しか報告していないだけです。そう考えると、ほほえましいことだとは思いませんか? まぁ、その理由が「不運を隠して幸運だと思われたい」なのか「不運が記憶に残りにくく幸運ばかり記憶に残る性格のため、自分でも自分を幸運と信じている」なのかは分かりませんけどね。
 ちなみに、リオセスリはまだ引いていません。
 声も姿もかっこいいんですが、氷アタッカーは神里綾華と甘雨を気に入って使っているので、あえて引きにいかなくてもいいかな?となったからです。戦闘中の見た目も格闘ゲームのキャラみたいで楽しそうですけどね。
 フォンテーヌは1凸が強いキャラが多く、1凸で課金を誘導しようとしている!とも言われていますが、1凸しないとイマイチなら別に無凸確保もいらないか、と思われるリスクもある諸刃の剣な気もします。
 今はとにかくフリーナが楽しみです。棚ぼたウェンティを育てながら、フリーナが来るのを待ちたいと思います。
 それではまた。

※本記事の画像はHoYoverseのゲーム、原神からの引用です。

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