遅ればせながら、ver1.3で更新されたNTE第6話を遊び終えました。
いわゆる「スカーレット・レター編」の完結なのですが、このお話の「疑似家族」にまつわる部分が好きだったので、感想を書いてみました。
特に他の人の感想や考察などは見ていないので、「その見方はズレてない?」みたいな部分も大いにあるかとは思いますが、ご笑覧いただければ幸いです。
なお、6話までのネタバレを含みます。念のため。
あたたかな疑似家族、エイボン
NTEの第6話までを振り返って思うことですが……
今のところ、NTEの物語は「疑似家族」がテーマになっている気がします。
NTEというより、スカーレット・レター編は、と言うべきかもしれませんが。
骨董品屋エイボンは「疑似家族」です。
親を亡くしたダフォディール、幼少期に親元を離れたナナリとエドガー、身元不明の鑑定士……と、エイボンは家族を持たない者たちの寄り合いという側面があるんですよね。(エドガーはその気になればいつでも帰れそうですが……)
「エイボンは疑似家族である」ということが特に強調されたのは第5話のナナリ救出のくだりなんですが、それ以前から疑似家族っぽさはありましたよね。

中でも第2話「捏造から始まる恋愛大作戦」は、わたしが共存テスト(クローズドベータテスト)で遊んで、「NTEは自分に合ってるから絶対やる!」と決めたお話だったんですが、これも疑似家族めいた要素がありました。
話の筋としてはあまり本編っぽくないので、「月光質屋が外伝で、これが本編?逆では?」とも思いましたが、スカーレット・レター編完結まで見てから振り返ると、たしかにこれは本編だったな、と感じます。
第2話は、エイボンの子供組が中心となって、タギドの恋愛を応援する話でした。
鑑定士やアドレーさんは子供組を手伝う立場でしたが、やってることが親っぽいというか、保護者っぽいんですよね。
キャンプ場でアドレーさんが「タッコさんの心情が軽んじられてはいないかと思ったが、水を差すのはやめた。みんなやる気になっていたし、実際それでうまくいく可能性もあるから。ただ、危険やわだかまりがあるようなら、それは自分が守る必要がある。鑑定士も協力してほしい」みたいな旨のことを言っていました。
アドレーさんはエイボンにおいて、なんとなく母親っぽい立ち位置を思わせる部分もあるんですが、この「多少の危険は子供の自主性と自立心に任せつつ、危険や遺恨を避けるためフォローする」というのは、古典的には父親ロールを感じるんですよね。
子供を危険から遠ざけることを重視する母親の役割と違って、父親の役割は多少危険があっても子供を冒険させて自立を促すこと……なんて書いている発達心理学の論文もあったりします。
まぁ、そういった古典的なロールは抜きにして考えても、子供たちのちょっとズレた行動を矯めたり諫めたりすることなく「失敗したとしても、それも貴重な経験だから」みたいな見守り方をするのは、家族に近い関係性を感じさせる部分だと思いました。
歪んだ疑似家族、スカーレット・レター

そして第4話は、まさに疑似家族の話でした。
「私たちはお母様のためだけに存在している」というベラもとい残虹の言は、あの場ではレニーに永遠の現在を手放させるための虚妄だったかもしれませんが、スカーレット・レターという組織について言うならば真実でしょう。
残虹の見せたコンスタンティン家は、一部において歪んだ偽りでしたが、その偽りの見本はスカーレット・レターだと思います。「母のためだけに存在する疑似家族から一人抜け駆けして、母に尽くさず幸せになろうとしている裏切者」って、ダフォディールのことですよね。

第5話は、エイボンが疑似家族だと特に強調されているくだりでした。
ナナリの「エイボンは本当のファミリーで、本当の家みたい」という発言がまさにそうでしたね。
これに対して「ほんと、そうだよね」と感じるのは、第2話「捏造から始まる恋愛大作戦」があったからだと思います。
あそこで「なんかエイボンって家族みたいだね」という印象があり、かつ鑑定士もその一員として行動したからこそ、ここでナナリに少し共感できるのであって、あれがなければ「まぁナナリにとってはそうなんだろうね」くらいの感想に留まってしまった可能性もあるんじゃないでしょうか。
あと、5話のことなんですが……
わたしはナナリが手を引かれながら「あっしが強くなくても、クソガキのままでも、ついてきてくれる?」と何度も確認してくるくだりが大好きです。

トラ大将の言う通り、ナナリは少し勘違いしていて、「自分がみんなを守るから、みんなは自分についてきてくれる」と思っていたんですよね。若くして親元を離れたため、知る機会がなかったのかもしれません。
だからナナリは強くなろうとしたわけですが、結局のところ4話終盤では弱さゆえにダフォディールに傷を負わせてしまい、その後ダフォディールがいなくなったことで意気消沈し、「自分には家族を守れる力がない」とエイボンにいていい理由を見失いかけた末に、ジャジャクマにかどわかされ、甘い夢に閉じこもることになってしまいました。(4話冒頭で取り立て屋を相手にして力不足を嘆いていたのもその伏線でしょう)
ナナリの尺度では「それでは誰もついてきてくれないはず」なのですが、そんな「弱い」ナナリをエイボンという疑似家族の一員である鑑定士が危険をかえりみず助けに来てくれました。
「自分が弱くても未熟でも関係ない。本物の家族愛や繋がりは、見返りを求めない」ということに、ナナリはそこでようやく気づいたんですね。
ただ、ナナリは長い間「自分が強くてみんなを守れるから、みんなは自分についてきてくれる」と信じていたので、行動で示されても心がすぐにはついていけず、何度も口に出して問い直している、鑑定士もそれを理解して何度も力強く答えている……という、とてもいとおしい場面だと思います。

一方で、スカーレット・レターは歪んだ疑似家族でした。
5話で昔のダフォディールと話すくだりで、スカーレット・レターが執拗な監視によって成り立っていることが明かされ、6話でイナンナが疑似家族を道具同然に思っていることが分かります。
もう1つの疑似家族エイボンのように家族愛は無償のものではなく――あるいはそこにおよそ愛はなく、監視や脅迫によって成り立っている疑似家族でした。
エイボンとスカーレット・レターという2つの疑似家族が対比され、両方に属するダフォディールがスカーレット・レター編のキーパーソンになる……という構図でしたね。
6話の最後で、歪んだ疑似家族であるスカーレット・レターは打ち破られ、帰ってきたダフォディールや目覚めたナナリと一緒に、骨董品屋エイボンで大団円を迎えました。
家族に心配をかけたことや、家族を危険に曝したこと、それぞれがそれぞれに対して「ごめんなさい」と謝る結果になりましたが、当然ながらそれを許さないという人は誰もいませんでした。
家族の愛が見返りを求めずとも、自身が受けたそれに報いたいという思いから、自発的動機として各々が動いた結果だったわけですから。
要はみんなエイボンという疑似家族が大好きで、何より大事に思っているがゆえ、その気持ちが暴走したり利用されたりして危険を招いてしまったわけですから、その行為は責められても、動機までは責められないんですよね。

さいごに
NTEのスカーレット・レター編、面白かったです。
わたしが「家族」というテーマをが好きなのもあって、とても楽しめました。
これからの物語はどうなるのだろう、と気になっていますが……どうなるんでしょうね。
わたしもエイボンのみんなが大好きなので、スカーレット・レター編で掘り下げられたナナリとダフォディールだけでなく、早霧やエドガーやアドレーさんについても掘り下げてほしいですね。
特に早霧は大好きなので、早霧の物語が見たいなと思っています。月光質屋の話などで仄めかされてはいますが、仄めかし止まりですからね。
第8話以降も素敵な物語が楽しめたらいいな、と期待しつつ、本記事はここまでといたします。
それでは、また。

